バロック音楽復興のラスト・パーツ——カストラート

 古楽復興は第二次大戦後から現在に至るまで着々と進み,今は相当な部分が実際に耳で聴ける状態になっていますが,比較的最後の最後までなかなか復活不可能とされていた部分もあります.それは特にバロック音楽で重要な位置を占めていたオペラの復活で,特にそのオペラのまさに立役者であり,それなしにはバロックオペラそのものが成り立たなかったカストラート歌手,つまり,去勢によって声帯の成長をストップさせることで,超高音を歌いこなせる男性歌手たちの復興でした.
 もちろん,当時のように見込みのありそうな少年歌手を去勢するなどというおぞましい所業など復活させられるわけもないのですが,しかしおそらくカストラートと同等の演唱技術を,もともとの才能と訓練を通して実現させた男性歌手が,今は世界中にいるようになりました.もちろん,戦後すぐから古楽復興の一端を担ってきた男性の裏声による女性声域の歌唱を行う「カウンターテノール」の歌唱訓練が蓄積されたことが重要な原因でしょうが,他方,20世紀に蔓延していた裏声による歌唱に対する偏見の解消が進んで,才能のある人物が裏声による歌唱を始める機会が増えていったこともあると思います.
 このブログでも,少し当時のカストラートによる歌唱について色々考えてみようと思っていますが,まず考えるよりも先に,バロックオペラ復活を圧倒的に印象付ける記念碑的な動画を.



 このオペラはレオナルド・ヴィンチ (有名なレオナルド・ダ・ヴィンチとは別人)による「アルタセルセ」で,1730年に上演.その当時のローマでは女性歌手の舞台での演奏が禁止されていたそうで,初演は女性役もすべてカストラートによって歌われていました.劇自体は3時間を超えるもので,当時のカストラートは本来の楽譜に記譜されている以上に,装飾音や自作のカデンツァを次々と付け加えて難易度を自ら増したうえで,それを見事に歌いこなすことで,技量を見せつけていました.ですから,CDなどの録音ならともかく,通しの実演,それも演技した上での実演は相当ハードルが高かったと思いますが,それを難なくクリアしたほぼ300年ぶりの蘇演です.この演奏自体は日本でも話題になっており,ネットを探せば日本人で実際に見に行った人の日記なども見つかります.
 演奏しているのはオケがコンチェルト・ケルン,歌手はカウンター・テノールのフィリップ・ジャルスキー,マックス・エマヌエル・ツェンチッチ,フランコ・ファジョーリ,ヴェラール・バルナ=サバドゥス,ユーリ・ミネンコに,テノールのダニエル・ベーレで,女性は初演のように一人も入っていません.全員が現在望めるだけの最高レベルの歌手でしょうが,中でもすごいのはアルバーチェ役のフランコ・ファジョーリで,1:13:33 からのアリア "Vo solcando un mar crudel"「我は残酷な海を航海してゆく」はカウンター・テノールはもちろん,古楽のイメージすら一新する記念碑的な演奏といえると思います.

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